劉禅 公嗣

蜀漢二代目皇帝・阿斗

 207年生まれ。  

 幼名を阿斗という。劉備の子、蜀漢の二代目皇帝。劉備が亡くなり、17歳という若さで帝位に就く。

劉備の遺言と共に諸葛亮を師父と仰ぎ、支えられながら皇帝としての職務をこなした。  

 外政、内政を諸葛亮に任せていた劉禅は、諸葛亮が北伐を決意した際に提出した「出師の表」には涙を流しこれを許可したという。

 諸葛亮存命の間は国を守っていた劉禅だったが、諸葛亮を始め重臣たちが次々と亡くなっていく中で、内政を疎かにしていく。  

 姜維が北伐を再開した頃にはすでに宦官の言いなりで、女と酒に溺れて内政を顧みず、国を堕落させていく。軍権を握る姜維が宦官の讒言を危険視し、首都を長く離れるほどであった。  

263年に、防戦する姜維軍をかわし首都に迫ったケ艾の軍に対して応戦することなく降伏。魏では安楽公という地位に就き、残りの人生を平穏に送った。



     〜蜀の在り処、その答え〜

 劉備の息子という立場で幼い頃を過ごした劉禅。本当の父のように優しくしてくれた諸葛亮が、一番の話し相手だった。

 劉備の死により若くして皇帝に就かざるを得なかったが、それでも諸葛亮という師父と、蜀に仕え、戦ってくれる配下がいることで、劉禅は頑張ることが出来た。

 しかし、年を追うにつれ、戦いによって人は失われる。戦いを止めることは出来ないのか。自分の理想とは何なのか。その葛藤を抱えていた劉禅に、理想とは自分自身で見つけるもの。そう教えてくれた諸葛亮さえも亡くなる。

 仕えてきてくれた将すら討たねばならない。姜維にその疑問をぶつける劉禅は、その中で答えを見つける。

 誰もが、自分の理想を叶えるために戦っていた。そのために、蜀にいたのだと。

 魏の大軍勢が蜀に攻め入り、姜維が剣と共に蜀を守ろうと戦う中で、劉禅は降伏を決意していた。

 姜維の蜀が剣と共にあるのならば、自分の蜀は、この土と共にある。それが、劉禅の出した答えだった―――。



 他登場作品


・ 桃園昇華(偲蜀伝)

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