周瑜 公瑾

なぜ私だけ一人なんだ!?
 175年生まれ。  

 揚州・廬江郡出身で、一族は大尉などの高官を輩出した名門。反董卓連合の際に孫堅が周家に家族を預けてきた際に孫策と出会い、彼を援助した。  

 孫堅が亡くなり袁術配下に収まっていた孫策が袁術の元を離れた折に合流、孫策を助け江東において勢力を広げる。  

 孫策が若くして亡くなると、勢力を受け継いだ孫策の弟・孫権を支え、異民族の多く治安の悪かった江東を平定していった。  

 最大勢力になっていた曹操軍が南下して来た際には、降伏を主張する人間が多い中、開戦を孫権に促し、対曹操軍の指揮を取り、同盟した劉備軍と共に大敵曹操を打ち破る。

 その後に天下二分の計を唱え、長江を遡上し益州を取って曹操軍と天下を二分するための準備を整えるも、その実行直前に病に倒れた。

若くして器楽に精通し、演奏される曲に間違いがあればすぐさま反応し、振り返ったという。



       〜断琴の交わり〜

 200年、平原では二強が激突しようとしていた。一つは北方の最大勢力、袁紹。そしてもう一つは、献帝を擁し勢力を伸ばし始めた曹操。

 江東を瞬く間に制圧し、領土を広げていた孫策は、曹操の背後を衝くべく軍議を開く。背後の危険を顧みず曹操を敵にしようとする孫策の考えに、配下たちは反対する。

 その中で、孫策の軍師でもあり親友でもある周瑜は、配下の言葉を無視して作戦を強行しようとする孫策に戸惑いを覚える。

 配下との絆を確かめるため、かつてのように演奏演舞をすることを提案するが、それすらも断られ、周瑜は孫策が変わってしまっていることを強く意識していた。

 その戸惑いの中で、過去を妻・小喬に吐露する周瑜。そこで周瑜は小喬に、どんなに強い想いも簡単には伝わらないこと、伝わらない想いは誤解を深めていくばかりだということを悟らされる。

 孫策の姿が見当たらないという報告に、周瑜は小喬に感謝の笑顔を向けると共に、自分の想いを伝えることを決心、孫策の元へと向かうのだった……。



 他登場作品


     なし
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